一般に、「再帰性理論」は、次の性質を保持しています。
それは、「考えを持った関係者」のいる出来事について考えた場合、「哲学や自然科学から学んだ世界の見方」は基本的に正しくないと言うことです。
哲学と自然科学は、「関係者に関連して変動する観測」と「出来事」を切り離すために力を尽くしました。
出来事とは物理的・理論的に実際に起こる事実であり、観測は事実と一致するかどうかによります。
物理的・理論的に起こっている事として真実の場合であっても、観測結果はそれとは異なる場合もあります。
この、出来事と観測とを切り離した物事の見方は非常に生産的である場合があります。
実際、自然科学の業績はものすごいものであり、そして、出来事と観測の分離は真実の非常に信頼できる評価基準を提供します。
したがって、私はこのアプローチについて決して批判的という訳ではありません。
物理的に起きている事と観測の分離はおそらく輸送分野でのホイールの発明より、思考の分野でのさらに大きい進歩だったと思います。
しかし、あまりにもこのアプローチがうまく行き過ぎたので、度を越してしまっているように思います。
「考えを持った関係者」のいる出来事にも適用されていて、それは現実の構図をゆがめています。
こうした、ゆがめられた出来事の重要な特色は、関係者の思考そのものが状況に影響するということです。
出来事と思考は、自然科学がしたように分離することはできません。
よりはっきりというと、出来事と思考を分離することによって自然科学には存在しないゆがみを導入することになります。
何故ならば、自然科学においては、思考や観測は出来事の外側にあるものなのですが、社会科学においては思考や観測は、出来事の構成要素となるからです。
出来事の研究が、事実の研究に制限されるとしたならば、重要な要素 -いわゆる関係者の考え- は勘定外となってしまいます。
奇妙に見えるかもしれませんが、それこそ、まさに、特に経済学で起こったことです。
そして、社会科学では、それは、最も科学的なことなのです。