この理論には遠大な意味があります。
自然科学と社会科学を明確に区別し、自然科学からは学ぶことの出来ない、社会的な出来事についての不確定な要素について明らかにします。
社会的な出来事を、果てしない歴史的な変動の過程にあるものとして解釈し、決して均衡状態にあるとは解釈しません。
この「変動の過程」は「関係者バイアス」によって不確実性が導入されているため、自然科学による方法では、普遍的な法則として予言されたり説明されたりすることはありません。
これの意味するところは非常に遠大であり、列挙し始めることさえ出来ません。
それらの範囲は、金融市場の固有の不安定性からだれも究極の真実に近づく手段を持っていないという認識に基づいているOpen Societyの概念まで及びます。
理論は新しい認識論と同様に新しい道徳をもたらします。
ご存知のように、私はOpen Society財団の創始者であり、運用担当です。
この事実自体がつまり、「再帰性理論」が作成と支出のお金で私を誘導したと主張するのにおいて正当であると感じる理由です。
しかし、”思考”と”事実”の関係について、新しい有効な理論を思いつくことができるでしょうか?
それはあり得そうもありません。
対象は、徹底的に調べつくされ、言われるべきとは既に言われつくされています。
弁明すると、私は全くの無からこの理論を編み出したわけではありません。
「自己バイアス」の不確定性について最初の議論は、クレタ人の哲学者であるエピメニデスによってされていました。
彼は次のように言っています。
「クレタ人はいつも嘘をついていた」
そして、嘘つきのパラドックスがバートランド・ラッセルのクラスの基礎でした。
しかし、私は理論的な不確実性についてもっと多くを要求します。
再帰性とは2方向のフィードバック・メカニズムであり、そのフィードバック・メカニズムは論理的なものと同様に本質的な不確定性の原因となります
本質的な不確定性はハイゼンベルグの不確定性原理に類似していますが、おおきな違いがあります。
それは、ハイゼンベルグの理論は「観測されたもの」を扱っていますが、再帰性理論は「観察可能な現象を発生させる際に考える役割」を扱っています。